野の花診療所看護師さんの手記 亡き社員に贈られたMVP 弊社スタッフ 故・山本みどりさん

弊社スタッフの山本みどりさんが、令和4年10月27日にご逝去されました。

多くの皆さんに見送られ、別れを惜しむ優しい涙と、感謝の声に包まれ診療所を後にしたみどりさん。

葬儀の仕事に使命感を持ち、メモワールイナバを誰よりも愛し、大雪の日はホテルに泊まってまで出勤してくれたみどりさん。

病気のことを私たちには告げず、大好きな会社に診療所から通っていた彼女が過ごした日々が綴られている日記をご紹介します。

看護師さんを励まし、患者さんに寄り添う心。安らかなそのお顔は菩薩様のように慈愛に溢れていました。

野の花通信

MVP(最優秀選手賞)

「今年のMVPは、大谷翔平かみどりさんだなぁ」

今年も大谷選手のMVPかと世間が盛り上がっていた頃、先生が言われました。大谷選手のライバルとして、山本みどりさんの名前が挙がりました。そのことをみどりさんに話すと、「毎年MVPがいいなぁ」と笑っておられました。

山本みどりさんは、4月に入院されました。入院時は、ちょっとピリッとした緊張感のある雰囲気。いろいろとお話を伺っている最中、「ここから仕事に行けたらいいのになぁ」とポツリ。先生に「みどりさんが野の花から仕事に通いたいと言っておられます」と伝えると、「いいよ!」の返事。

みどりさんに報告。「え? 本当に!」と表情が輝きました。みどりさん、すぐ職場の上司にお話しされ、「すごいねー、そういう病院があるんだね!」と言われたそう。こうして「がん」という病気を抱えているみどりさんと、受け入れてくださった会社と病院とのトライアングルの日々が始まりました。上司以外には、病気のことは内緒。いつも通りの日々を過ごされていました。7月には、大好きな麒麟獅子の紙芝居も披露してくださいました。

麒麟獅子の紙芝居を披露する山本みどりさん
麒麟獅子の紙芝居を披露する
山本みどりさん

みどりさんは、とにかく会社が大好き。会社に入るきっかけとなったのは、みどりさんのお父さんが亡くなられたときのことでした。お父さんは、身長が高かったため、棺に足を曲げた状態で入れられている姿を見たことでした。死んでいるからといっても、かわいそうと思われ、人の最期を丁寧に見送りたいというお気持ちを持っておられました。ボランティアから始められ、パートへ、そして正社員へとなられたそうです。

両足が腫れ、歩きづらくなった頃から、仕事はお休み。それでも、外泊やご主人との外出、ミュージカル鑑賞……とひらめきは次々生まれました。病が投げかけてくる問題を打ち返し、イベントは実行されていきました。つらいであろう体にも「ごめんね、気づいてあげられなくて。がんばろうね」と声を掛けながら、明るく、いつも前を向いて過ごされました。

「私は広報の仕事だから、いろんなイベントを見に行きたいの」

最期まで、仕事に対する情熱は消えませんでした。
入院期間、184日。外出88日、外泊7回、一時退院2回!
今年のMVPは、みどりさんだ!

今ごろ、天女になって舞っているのか、それとも麒麟獅子になって舞っているのか……
きっと関わりのある人の心の中で笑って舞ってくれているのでしょうね。みどりさん、素敵な時間を一緒に過ごして下さって、ありがとうございました。

文:宮川 瑞穂(看護師)
出典:野の花診療所(鳥取市行徳)広報誌『野の花通信 No.40』(2023年1月発行)

おしゃべりと 気遣い育む
人の縁
笑顔のちから ずっと信じて

山本みどりさんは、メモワールイナバに勤務し、長らく広報企画部の要として活躍。当時としては風変わりな「葬儀社のファン作り」という難題を持ち前の使命感と笑顔で乗り越え、現在の広報活動の基礎を作りました。

終活カウンセラーとしても活動し、自身の終焉においても「自分らしさ」に蓋をすることなく、愛する家族と笑顔と感謝の日々を過ごして旅逝かれました。

今もどこかで笑みを浮かべ、見守ってくれているような……。

※写真はご家族の許可をいただき掲載しております。